今年2004年7月21日放送のNHK「その時歴史が動いた“世界遺産 熊野の森を守れ〜南方熊楠・日本初の自然保護運動〜”」を今ごろ見た。
今年の春、熊野等の南紀のあたりが世界遺産に指定されたらしく、それに絡んでの番組。
恥ずかしながらアタシは日本の歴史というものをほとんど知らなくて、この「神社合祀令(ごうしれい)」というのも初めて知った。
なんで日本がこんなになっちゃったんだろう?のひとつとして、すごく納得しやすい話な気がした。
神社合祀令なるものがスタートしたのが明治39年。
これは「一町村に神社はひとつでよろしい」というもので、この国策のもと、日本中の神社が次々に壊されていったらしい。
その数、わずか3年で5万。
神社には御神木があり、そして鎮守の森が広がる。
御神木というのは往々にしてとんでもない樹齢のものが多かったりして、そして鎮守の森にもたくさんの原生林が広がる。
ここから伐採した木が高く売れる。
その利権と絡んで、先を争うように森が、神社が、御神木が壊されていったのだという。
材木利権。
森がなくなれば保水力が失われ鉄砲水が増える。
川から海へ流れ込んだ土砂のため、漁場も衰える。
鳥が住めなくなり害虫が増える。
そして、心の拠り所も無くされた近隣の住民たち。
番組は、これに立ち向かった南方熊楠、そして熊楠とともに動いた、当時中央官庁(つまり立場としては神社合祀令推進派)の柳田國男の活躍を焦点をあてて、その流れを追っていました。
樹齢1,000年(!)という三重県御浜町の阿田和の大楠(あたわのおおぐす)を守った話などなど。
しかし、熊野古道に40本あったという一方杉(枝が全て那智の滝に向かう一方向にしか生えていない杉の木)は古道ぎわの9本以外、守ることができなかった。
投獄されたりしつつも活動を続け、大正7年(というと1918年)、やっとこの神社合祀令なるものが廃止されることに。
熊楠はこの破壊を、神狩りと呼んでいた。
宮崎駿監督の一連の作品が頭に浮かびました。
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