Wikiばな、というイベントがあり、そこで沢田マンションのことが語られた?ようで、そんなアクセスがちらほら。
以下のページ。
→こらない - 高知1〜沢田マンション他
Wikiばながどんなイベントなのかよく分からず。
どうやら、『パターン、Wiki、XP / 江渡浩一郎』という本に関連したセッションが開かれた会だったみたい。
→WikiBana/VOL.7
スライドショウがあった。
→Wikiみたいなマンション 沢田マンション
沢マンがWikiみたい、とあるけど、ふむ。
アジャイルではあると思うけど。
沢田マンションが違法建築なのは、構造欠陥があるとかめちゃくちゃだということではなく、当時の行政が「なあなあ」だったので、審査なしで建築を開始した、ってことよね。
でもまあ、審査してないので、構造欠陥があるのかどうかも分からないわけで、一緒なのかも知れないけど。
沢田さんを素人と呼ぶとするなら、素人が建てた建築物だから「いい加減」というより、素人が建てたからこそ過剰に安全側に倒して設計されているため、あとから柱とか抜いたり屋上にプールを作ったりしても強度的に大丈夫だったり、と本に書いてあった気がした。
とは言え、それもちゃんと専門家の目で見たら、「明らかにNGだけどね」というものかも知れないし、そうでないかも知れない。
アタシには分からない。
ただ、沢田マンションの「何か」を参考に同じようなことをして同様の建築物を作ろうとしても、かなりの確率で失敗する気がする。
ここでいう「同様の建築物」というのは外観等のことではなく、「あのコミュニティ」とか「魅力」とか「元気」のこと。
もちろん、それに関するヒントはたくさん隠されてると思うのだけど、そこを抽出して「狙って」しまうと、途端にうまくいかない気がするんだよなー。
アタシが建築(住宅)のことを書く際にたびたび書いてるのは、「使いにくい住まいの方が、住んでる人が元気なんじゃないか」ということ。
しかし、使いにくい家をわざわざ設計するというのは、かかる費用のこともあって、すごく難しいと思う。
やっぱり便利にしようと思うし、高効率を求めてしまうと思う。
どうしようもない条件として、狭小住宅にせざるを得ないとか(ワタリウム美術館前の「六坪の家」とか)、あるいは「アート」ってことになるとか(荒川修作氏の諸々)、そういう方向くらいかしら。
そこのあたりの難しさも含めて矛盾と戦っているのが象設計集団、という印象がアタシにはあるのだけど、どうなのかしら。
笠原小学校とか、実際に子どもたちは元気なのかな。
ちゃんと地域とリンクしてるのかな。
あるいは、名護市庁舎の休憩所のような集会所のような宴会所のようなスペースとか。
そんな象が台湾で行なっている都市計画(?)とかも、どんななのか。
家を建てるって、素人にはいちばん難しいことだと思い込んでいたのだけど、藤森照信氏の著作で「今、素人で自作が可能なものって、家くらい」と書かれていて、驚いた。
今や何にでも電子部品が入っているので、それらを自作はできない。
けど、家なんて、柱を建てて、屋根をかければ、とりあえず家になる。
みたいな話だったと記憶。
都市計画、街づくり、ランドスケープ。
アタシの育った名古屋は計画都市。
碁盤の目のように、道路がきれいに並んでる。
「そのおかげで“裏”がないので、文化が育たない」と日比野克彦氏が言ったのを高校の時に聞いて、印象に残った。
今はそのままその通りには思わないけど、ただ言ってることは分かる。
下北沢にどーんと道路が通った途端に街が死ぬと思うけど、実際どうなるかなー。
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