こらない

2009-02-13(金)

UFOの話とか3

友人知人に尋ねてまわったところ、12人中6人が「UFOを見たことがある」という結果が得られた話は以下。
こらない - UFOの話とか2

その後あれこれ考えてて。
アタシの知人で、あるいはここの読者で、とりあえずアタシが捏造して書いてるんじゃない、と思ってくれてるとして。
じゃあまあ、書いてあることはその通りで、12人中6人が「UFOを見た」としましょう、と。
その中のいくつかは見間違いの可能性があるじゃないか、と思ったとしても、でも何人かはなんかそういうのを見た、と。

でも、だから何だって感じよねえ。
特にそういうのを見たことがない人は。
「実は○○だったんじゃないの」と突っ込んだところであんまり意味はなさそうだし、かと云って自分は見たことないからどういうものなのかよく分かんないし。
なんか面白くないわよね。
もやもやっとするだけで。
ごめんなさいね。

と、形式的に謝ってみておいて、でもせっかく始めたので、もうちょっとリサーチを続ける予定。
だって、予想以上に見たことがある人の割合が多いんですもの。
またあとでちゃんとまとめるけど、この前参加したお誕生日会でみんなに訊いてみたら、やっぱり約半数が「見たことある」って。
あと、見たことあるとかないとかってメールも何通かいただいてまする。
さんきう。

で、そのお誕生日会の時に思ったのだけど。
前回書いた時に、“UFO”っていう単語から想起されるものが、アタシと他の人の間でかなり隔たりがあったことを認識した。
アタシが云ってるUFOは、(自分にとって/その時その人にとって)未確認な飛行物体。
他の人にとっては、UFOは円盤なりなんなりの形をしてて、宇宙人が乗ってるもの。

同様に、霊とか霊っぽい現象の認識も、だいぶ違ってるみたい。
なんかみんな、そういうのって「怖い」みたい。
それは、お化けとか呪いとか、そういうイメージとつながってるってことなのかなあ。
そりゃ、駅のホームから突き落とされるとかって危害を与えてくるんなら怖いけど、「いる」だけなら怖くはないような。

あーいや、そうか。
あり得ないと思ってることが起こったら怖いか。
そりゃ怖いか。

アタシ、たぶん「あり得ない」と思ってないんだな。
そんなもの、すごく当然普通に「ある」と思ってる。
だから「信じる/信じない」とか云われると困っちゃう。

ええとね、現在の人間ごときの想像できる程度のことなんて、全部「ある」と思ってるのよね。
現実は小説より奇なり、じゃないけど、将来もっといろんなことが分かってきたら、それはもうまったく現在の想像の範囲なんて越えてると思うもの。
そもそも、何度か書いた気がするけど、アタシ自身すでに現在の物理学とかあるいは宇宙論とか、よく理解できない。
でも現在それは科学的に「そうだと思われる」ってなってるわけでしょう?
でもそれでもそれらは、まだまだ序の口だと思うんだよなあ。
これからまだまだいろんなことが分かってくると思う。
10年後とか100年後とか1000年後とかから振り返ったら、今なんて、まだまだ天動説を信じてるようなものだと思うもの。
そう考えるのが普通だと思うんだけどなあ。
だって、まだこんなに“金”に振り回されて、同じ人間同士で戦争なんてやってる時代ですぜ。
どこかに成熟した文明が存在するとして、そこから見たら地球上のアタシ達人間なんて、とてもじゃないけど文明なんて呼べるような状態じゃないと思う。
未開も未開。
そんな世界の、そんな時代の科学なんて、まだまだヒヨッコな気がするえすけどね。

ってな考えがこんな書き方でどう伝わるか分かんないけど、一応これはアタシなりに科学的、や、科学的とは云わないか、論理的、なもの。
何が言いたいかというと、ええとね、気をつけないと、「今の科学では証明できないけど、水に素敵な波動を与えるとうんぬんかんぬんで、これを飲むと健康になる!」とかになっちゃう。
ありがとうと語りかけるとキレイな結晶ができるとか。
いや、そうだったら面白いなーとか思うのよ実は。
でもそれこそ、そこでこそ「自分の目で見たものしか信じない」よね。
「自分の目で見たもの」ってのいうのは、目の前でそうなれば信じるってことじゃなくて、当然科学的に証明するってことね。

あ、だんだん書くの面倒になってきた。
人は信じたいものしか信じないし、信じたくないものは信じないものよねー、とか適当なことを書いて、ひとまず今日はここまで。

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