書籍の「ハードカバー」という形態と、「文庫」や「新書」という形態に関して、2つのエントリを読んだ。
→404 Blog Not Found:新書萌のハードカバー萎え
→MORI LOG ACADEMY: ハードカバーと文庫
上は、月数百冊を読むというdankogai氏で、「ハードカバーはとにかくかさ張るから嫌い」と。
下は、作家の森博嗣氏で、「ハードカバーもノベルスも文庫も、同時に出せばいい」と。
で、それとは全然関係なく、思い出したことを。
これって、以前にも書いたっけなあ。
CDの「紙ジャケ」ってのが、分かんないの。
あ、いや、紙ジャケって形態が分からないわけじゃなくて、どうやら紙ジャケの方が上というか、素敵というか、良い、みたいな位置づけっぽくて、それがどうしてか分かんない。
どうも、理由とかなくて、「え? だって紙ジャケの方がいいじゃん、普通に考えて」みたいな感じっぽいのよね。
その感覚がアタシの中になくって。
あれかな、レコードの頃の記憶、みたいなものなのかなあ。
そういった感覚がないアタシにとって、紙ジャケって、かなり不便。
サイズが微妙に(いや結構大きく)違うでしょ(棚に入らない場合がある)。
ものによっては、「背」がない、もしくは薄いため、タイトルが見えない(見えにくい)でしょ。
あと、不織布入りのCDを取り出すのが、面倒でしょ。
それから、「帯」を格納しておこうとすると、帯が端が飛び出してうまく格納できないでしょ。
で、プラケースのものと違って、ジャケットがそのまま裸のままなものだから、汚れるでしょ。
以前、「まあでも、紙にした分、パッケージ代が安いんだろう」と想像したんだけど、実際は逆で、紙ジャケにした方が高いらしい。
ええええー。
なんだろ、プラケースのプラスチックっぷりが、安っぽい、という感覚とかなのかな。
紙の温かみ、とか。
同じCDが、プラケースと紙ジャケの両形態で発売された場合、アタシは当然プラケースを選ぶんだけど、それは少数派?
少数派っぽいなあ。
今回はさすがに、あまり共感を得られないような気がしながらも書いてみた。
というか、「ほら、あれと同じだよ」みたいな例って、どんなだろう。
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