小学生の頃の「社会」の授業だったかで、ごみ処理のことをやってた。
「燃えないゴミ」をどんどん埋め立ててます、っていうやつ。
「1日に運ばれてくるゴミの量は、XXトン」とか習ったんだと思う。
その時に「そんな毎日毎日何トンもゴミが増え続けて、1年後には10年後には100年後にはどうなるの?」と思った。
思ったというか、怖かったというか、どうしてそんな頭の悪いやり方を「よし」としているのか、理解できなかった。
もう少し年齢があがってから、それらの中には危険な廃棄物もたくさんあると知って、余計にそう思った。
高校の時に、図書館の主催イベントだかで宇宙飛行士の人に来てもらって、小さな教室で講演を聞いた。
その宇宙飛行士から「ロケット打ち上げの際にいちばん問題となるのはなんだと思う?」という質問。
答えは、ゴミ。
すでに宇宙に捨ててきたいろいろなゴミが地球の周りをぐるぐる回っていて、ロケットを発射する際にすごく大変だという話だった。
なんてバカなんだろうと思った。
NASAとかって、科学者の中でもトップレベルの人が集まってるんじゃないの? それがどうしてこんなことになるの? と思った。
そのことを話した宇宙飛行士が、ちょっとしたトリビアを話すような感じで、その問題自体をあんまり問題だと感じていないように見えたのも、なんだかとってもがっかりする出来事だった。
(この話は過去に何度かここに書いてる)
チェルノブイリ事故の時なのか、他の原発事故の時だったか、原子力発電っていうのをそれなりにざっくりと知った。
たぶん、テレビか何かで見たのだと思う。
そこでも、最終的に生成されたゴミは、「地中深く埋める」ということだった。
それまで、さんざん生成物やらいろんな物質の危険度の話をやっていたのに、まるでオチのように「地中深くに埋める」という。
そんなんでいいの? と思ったら、すごく深いところ、という説明だった。
「すごく深いから大丈夫」と言ったかどうかは覚えてない。
半減期が何万年だったか何億年だか覚えてないけど、そんなものを地中深くに埋めていいものなのか。
頭のいい人がちゃんと考えた結果がそれだということに落胆した。
大学に入学した頃(1993年頃?)、ひとり暮らしを始めた。
この頃すでに、本棚等は、自分で材料を買って作るより、買ってくる方が安くなり始めていた。
同時に、なんでも、修理するよりも新しく買った方が安い、ということになってしまった。
なんだか面白くなかった。
この頃は、ペットボトルは、リサイクルできないということで、まだ飲料には採用されていなかった。
けれど、ペットボトルのエヴィアンとかがコンビニで売られるようになって、「あれ?」と思ったら次の瞬間、あっという間にコンビニはペットボトルだらけになった。
リサイクルの目処が立ったんだろうか、と調べたら、そんな見通しは全然立ってなかった。
がっかりした。
もう少し経つと、100円ショップがそこら中に出来始めた。
家族を含め、みんな「安い安い」と言って通い始めた。
どうして安いのか考えないのかな、と思った。
こういうことに意識が高いと思ってた人も、「安くてサイコー」な様子だった。
長い間、ペットボトルは絶対に買わなかった。
今は買ってしまっている。
長い間、100円ショップは利用しなかった。
今は利用してしまっている。
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