こらない

2009-01-28(水)

少年王者舘『ライトフレア』@大須七ツ寺共同スタジオ

少年王者舘番外公演『ライトフレア』@大須七ツ寺共同スタジオを観に、名古屋へ。

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土曜日マチネ(昼)。
大須は吹雪。

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前回公演の『シフォン』は、劇団員の虎馬鯨氏の脚本。
今回は、

この作品は、カシワナオミ原作「フレア」を元に虎馬鯨が「ライトフレア」として脚本化したものをアマノテンガイが全面的に脚色をほどこしたものです。

というもの(当日パンフレットより)。
さらに、王者舘というと照明音響映像音楽等による強力なスタッフワークについて言及されることも多いのだけど、今回はそれらもいつもと違う人。
聞くところによると、当初は演出も天野天街氏ではない人になるだったとか。
いつもは3都市を巡る少年王者舘による、名古屋公演のみのそんな番外公演。
上演時間1時間20分ほど。

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『シフォン』『ライトフレア』と虎馬鯨さん脚本の公演を続けて観て。

王者舘では「ここではないどこか」が描かれるのだけど、天野さん作の場合のそれは、何億年も未来だったりあるいは過去だったりという印象。
今みたいな“文明”や“アタシ”が何度も何度も繰り返されている世界、というか。
56億7千万年後、とか。
それらが全部重なって、ものすごい密度になってたり。
対して虎馬鯨さんのそれは、そういう“縦”のどこかじゃなくて、今、こことは別に存在している何か別の物理の働く世界、という印象。
平行世界というか。
三千世界、とか(いやそれは今こじつけた)。

あるいは。

映像で、地球を俯瞰しているような状態からぐーんとズームして、ある都市のある家にカメラが寄っていく、みたいなのがある。
さらに寄っていって、例えば細胞に入り、核に入り、どんどんミクロの世界へ、とか。
そこにまた“宇宙”があって、銀河系があって、太陽系があって地球があって…、みたいな。
そういう中のどこかの“世界”。
“ここ”ではないけど、確かにここにある世界。

そんな印象。

天野さんの、どこかドロッとした世界とはクーキ感が違っていて、“いつものスタッフ”以外でそのいつもと違ったクーキを出してみたい(みたかった)、というのは分かるような気がする。

これも同じ話かも知れないけど。

天野さんの作品の出演者はほんとにその物語の中にいる人で、終演後にその人が現実世界にいると、どうしていいんだか分かんなくなる。
でも虎馬鯨さんの作品だと、大丈夫。
あっちの世界のこの人と、今目の前にいるこの人とは別、と認識できる、というか。
パラレルワールドとして捉えてるからかしらね。
なので、出演者に対する“愛おしさ”の種類がだいぶ違う。

それとは別の話で、演出はどんどん平らに、というのがここ最近の傾向、かな。
ダブルミーニング、トリプルミーニングといったものは、その“ダブルミーニング”という枠から離れて、そのまましりとりのように存在するのみ。
「そういえば…」「話…」が「そういれば(総入れ歯)…」「ハナシ(歯無し)…」になっているのなんて親切な方で、台詞のほうぼうに散りばめられたあれこれは、突っ込まれることも取り上げられることもなく、そのままそこに埋め込まれたまま。

街の外からやってきた記者、物語の外からやってきたジャージの人。
使われることのなかった小道具、台本、回収されることのない伏線。
いく様にも姿をかえる舞台セット。
最後は歌か踊りらしい。
野鳩っていうな。

ダンスの振付も今回はいつもと違う人で、これが最後にひとつの世界を作ってた。
見せ方によってはもっとぐっと来るはずと思い、それは例えば照明の技とかそういうことで可能なのかな、と思っていたら、「あともう少し舞台が広ければ」の声。
なるほど確かに。
そしたらきっとすごく印象が違うだろうなー。
何度も何度も生えてくる、というか産まれてくる、みたいな印象があったのだけど、ラストステージで全員がバタと倒れるブレイクが入っていて、おおーさすが。

夏の本公演の仮チラシによると、タイトルは『夢+夜(ユメたすヨル)』。
このところの公演では、いろんなタネが蒔かれていると感じてるのだけど、それがどう成長していくのかすごく楽しみ。

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