こらない

2007-07-16(月)

久しぶりに精神科医のお友達と会い、おしゃべり。
心の話や、心と身体の関係の話、心が壊れたり身体が壊れたりする話など、いろいろ。

親子関係、あるいは職場でのあれこれ、によって心(や身体)が壊れる場合がある。
「ストレスが原因ですねえ」みたいなやつ。
これを治す場合、これらの原因となる状況や環境を取り除くなり改善するなりしなきゃいけない、と思ってたんだけど、そうじゃなさそうなことが最近分かってきた(アタシが)。
どうやら、最近あちこちで得た知識によると、「気付く」だけでいいっぽい。
言い切っちゃまずいか。
「気付くだけでいい」という場合も多いっぽい。

しかし、脳(かどうか知らないけど)が、うつ状態や腰痛やら頭痛やら花粉症やらという辛い辛い状態を用いてまで自分に気付かせないようにしていることに、自分で気付くというのは、たいへんに難しい、と思う。
「学校に行きたくないから腹が痛くなる」「会社に行きたくないから熱が出る」といったレベルとは違う、んじゃないか。

「そこんとこまで突っ込もうとすると、精神分析とかってことになる」とお友達。
精神分析ってのは「週4〜5日、毎回1時間とかを、2年とか3年とか4年とか」っていうスパン。
それだけの時間と、そしてお金がかかる。
あと、看てもらえばどうにかなる、というよりも、その人と自分で作り上げていくというか、精神分析医との共同作業になる。
そいえば以前、菊地成孔さんの日記でそんなようなことが書かれてた。
「だからねー、今はそんな(手間のかかる)ことする人(医者)は少ない」らしい。

如何せん、こういった方向は、なかなか科学的な治療ルールが作れない。
あの先生のあのやり方がうまくいったからといって、それが誰に対しても有効かというと、なかなかそうならない。

最近は、うつ等の症状に関しても「こういう脳内の物質がこうなるとあれで、ああなるとそれで」ということが分かってきているので、それを薬であれこれするように(できるように)なってる。
こちらは、「こうならこれ」「これがダメなら、あれ」というルールが、はっきりしてる。
いや、それほどはっきりとはしてないかも知れないけど。

「でもそれって、対症療法だよね?」
「うん」

片頭痛も、数年前に「片頭痛時に効果のある薬」というのが日本でも認可されて、片頭痛の発作が起こってからでも痛みを抑えることができるようになった(それまではそういう薬はなかった)。
これも、痛くなってからその痛みを抑えるわけで、「痛くならないようにすること」はできない。
カルシウム拮抗剤やらで予防するという試みはされているけど。

なんだかここ数年、「こういう病気が怖い」「こんなことをしてるこんな怖い病気になる」からスタートして、「こんな名医がいる」「凄腕の外科医のスーパー手術」「こんな新しい素敵な新薬が」みたいなテレビ番組や情報が多い気がするのだけど、「心」に関してはあきらめちゃったんかしら。
「心と呼んでるものも、結局は神経の活動でしかないから、薬や外科的治療で解決できるぜ!」ってことで落ち着いちゃってるんかしら。
それか、心に関しては、「オーラの泉」等におまかせ?

あれこれ話していくなかで「なるほど、そういう考え方もあるか」と思ったのは。

例えば、片頭痛が「絶対に気付きたくないことに、自分が気付かないようにするために起こっている」とするなら、つまりやっぱり「片頭痛で苦しんでる方が、それに気付くよりラク」なんじゃないか、と。
ふむ、一理あるのかもなー。

どうしても自分に目を向けなきゃいけない時が来たら、そうせざるを得なくなるのかも。
それまでは、頭が痛いだの、腰が痛いだの、胃が痛いだの言ってる方が「ラク」なのか、も。
…と考えると、それはそれでちょっと気がラクになるかも。

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  • update: 2013-03-09

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