維新派CD『BABEL-noise of trouble image』

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『BABEL』ジャケット

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DATA

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TEXT

衝撃のヴォイスウィルス。
ラップ、ヒップホップ、
パンク、ケチャ……。前代未聞の音の洪水。

CD帯より

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収録曲

  1. 路地の蒸気機関車
  2. スクラップ・バベル
  3. 帰りの道を忘れたよ
  4. 蒸気工場
  5. スクラップ・ポルノ
  6. まちむし
  7. 夏の銀河植物林
  8. 虹市
  9. コラージュ
  10. 分裂歩行
  11. メモリー・ファクトリー
  12. 進水式

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ライナーノーツ

 維新派が結成25年目にして、ついにファースト・アルバムを発表!……といっても、どこぞの演歌歌手が苦節何十年の末にやっとデビューに漕ぎ着けました、などといった話ではモチロンなく(まあ、もしもアルバム・ジャケットに、維新派を主宰する松本雄吉氏の渋味のある顔写真がどアップで使われてとしたら、演歌系の音源だと思われても致し方なかったでしょうけど)、四半世紀の活動を総括するための記念スペシャル事業の一環というわけではない。あくまで、このアルバムは、維新派の現在進行形の表現が詰め込まれた音楽パッケージ、と考えていただきたい。

 「しかし」と一部の人々は問いを発する。「維新派は劇団のはず。その現在進行形が音楽作品に結実するとは、これ如何に?」

 たしかに維新派は「劇団」として活動を行なってきた。だが、その「演劇」活動は、私たちが通常思っているような「演劇」の常識を遥かに逸脱したものなのだ。言い換えるならば、その「演劇」として非常にユニークな表現形態を選択してきた。そのユニークさとは、脱領域性あるいはメディア横断性といった性質を帯びたものであり、そういうあり方をしている以上、音楽作品というカタチへの領域侵犯はいつなされてもおかしくない状況にあった。それゆえ、そんな彼らの活動ぶりを観てきた者にとって今回の『BABEL』は、ある意味において、満を持しての発表という感じさえしないでもない。が、その一方で、今回初めて維新派の世界に触れつつある方々のためにその辺の事情をもう少し具体的に説明しないことには不親切のそしりを免れない。

 維新派は、1970年に松本雄吉ら関西在住の人々によって劇団として結成された。但し、当時は劇団「日本維新派」と名乗っていた。この、ある意味で大仰にも思われがちな劇団名によって、彼らが演劇革命を目指していたことは容易に察しうる(しかし、右翼と間違えられやすいネーミングでもあったため、80年代に入って誤解を招かぬよう「日本」が取り外された)。彼らの登場は、あらゆる保守的な制度の打倒・解体が叫ばれた激動の60年代のうちに準備されたと見てよいだろう。そんな中、演劇の領域においては、舞台と観客の関係や、役者の身体の問題、さらには劇場のありかた等々が、アングラの旗手と呼ばれる人々によって徹底的に洗い直しの作業が進められていた。例えば、従来の劇場では自分たちの考える芝居が自由にできないと感じた劇団は、テント興行や街頭劇という手段に打って出たのである。こうした動きはまず東京で活性化し、その東風が関西方面まで吹いてきたのを真正面から受けとめるようにして、日本維新派が(大楠公よろしく)大阪で演劇ののろしを上げたというわけだ。

 当初より、彼らは(またしても大楠公よろしく)極めて大胆奇抜な上演を行なうことで世間にインパクトを与えた。既成の劇場を飛び出すのはもちろんのこと、作品ごとに自分たちで専用の野外劇場をこしらえる、という並はずれた労力を伴う方式を採ったのである。ここで、そのすべてを詳細に紹介する余裕はないのだが、例えば「土と水による円環劇場」「巨大滑り台舞台」「雪と火山の劇場」「六階建て路地風景劇場」「丸太三千本・迷路の劇場」といった劇場の名称を聞くだけで、その壮絶さはある程度想像可能であろう。こうした特異な野外劇場において、上演される作品もまた従来の「演劇」の枠組みを大きくはみだしたものとなっていた(劇場が特異だから作品もはみだしたのか、はたまた作品がはみだしたものだから劇場が特異にならざるをえなかったのか?その辺の論議は別の機会に譲る)。私たちが通常思い浮かべる「演劇」(リアリズム演劇などと呼ばれるもの)は、「台本」に書かれた「物語」の「台詞」を役者がいかにうまく喋り、いかにそれっぽく演技できるかということが重要なわけだが、アルトーという今世紀初頭の演劇家は、こうした演劇の考え方を「文学の一支流」「舞台化された戯曲」にすぎないものとして批判した。維新派は独自の創意を駆使して、こうした戯曲一辺倒的演劇システムを覆してみせた。まず物語を排除し、そこに付随する役者の主役/脇役といった階級構造をとっぱらった。役者は必ずしも台詞を語るためだけの存在ではなく、音楽や舞踏など多面的表現を要求されることになった。さらにいえば、彼らは劇場作りという土木作業から従事しなくてはならない。華やかなスターになるために役者を目指すような人には到底耐え難い世界だった。

 当初はアングラ的雰囲気の中で、ある種の荒々しさを以て上記のような路線を展開させていた維新派だったが、次第に洗練された方向に自身のスタイルを整理しはじめたのが80年代中盤である。現在に至るヂャンヂャンオペラという様式の原形もこのころ確立した。

 ヂャンヂャンオペラとは? 70年代から彼らは演劇における「物語」を徹底的に解体させてきた。その結果「物語」という意味に縛り付けられていた言葉がばらばらにほぐれ、それぞれが意味を失った「物語」の残骸となった。いわば言葉がモノになったのだ。維新派は新たなるスタイルを編み出すために、その残骸の山の中から面白そうな素材を拾い集める作業を開始した。そして音楽というベースの上にそれらの素材を並べたのである。しかし、だからといって、それらを安易にメロディへと加工することはしなかった。彼らの拾い集めた言葉とは、自分たちが日常使用している関西弁にほかならず、それ自体が魅力的なイントネーションやリズムを備えた音楽的素材だったのだ。そのステキな素材の持ち味を殺さぬよう、ラップ風の処理が試みられた。とはいえ、最近流行の、何事かを語らんとするようなラップなど足元に及ばないくらいに、言葉の一つ一つが音響的及び韻律的な配慮に基づき厳密に配置され、そのことによって、むしろバリ島のケチャに近いものとなった。また、伴奏の部分では、モノとしての言葉の歯切れ良さと関西弁としての人間性を共に浮き立たせるべく、どこかちんどん屋さえ思わせるようなエスニックなディジタルなビートが展開されるようになった。

 こうして新たなる音楽劇=オペラの基本形態が成立したのだ。彼らはこれを旗揚げ以来培ってきた演劇・ダンス・美術の手法や建築技術など有機的に統合させ、最終的にオリジナルな総合舞台芸術のスタイルを作り上げることに成功する。それを松本雄吉はヂャンヂャンオペラと名付けた。ヂャンヂャンとは、松本の生活圏である大阪・天王寺周辺の、猥雑でいかがわしい一帯「ヂャンヂャン横町」に由来するという。

 先ほど、「洗練された方向に自身のスタイルを整理しはじめた」と書いたばかりだが、いかにそのように見えたとしても、実はヂャンヂャンオペラの本質として、ヂャンヂャン横町の(あるいは『ブレードランナー』のダウンタウンのごとく)ゴッタ煮的でいかがわしい雰囲気は否めないのである。先端的でディジタルなカッコ良さと、粘気・湿り気・生臭さ・間抜けさがお持ち良く感じられてしまうのはどうしたことか。このことを松本自身はちょっとばかりカッコつけて「次元の違うイメージたちが擦れ合うノイズ」と呼び、それこそが彼が創出させようとする「街」=世界のリアルなディテールにほかならないのだ、と自己解説する。

 このアルバムに収録された音楽もまた、松本にとっての「街」=世界が音のカタチとして現出したものだ。作曲は内橋和久、音作りは内橋率いるアルタードステイツが担当。アルタードステイツ・ファンは言うに及ばず、プログレやフリージャズ好きの人間にとってはそれだけで価値の高いものとなっている。

 さあ、廃虚の塔のごとく堆積した、さまざまな音や言葉のスクラップの山に耳を傾けてみよう。そして、それらの擦れ合う響きの中からあなた自身にとってのリアリティの感触を取り出すことができれば、しめたものである。

うにたもみいち/演劇エッセイスト(1995.5.21)

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