作成:2002-07-29
更新:2002-12-18
2002年7月に催された岡山市犬島での維新派の本公演「カンカラ」の観劇レポート。
ボクが維新派を知ったのは、1991年名古屋今池の廃館となった映画館で行われた「少年街序曲」を観た時。その年の秋に東京汐留の国鉄跡地で行われた本公演「少年街」のプレビューライブであったこのライブを観て興味を持ったボクは、本公演を観に東京へも足を運び度肝を抜かれ、それ以来毎年欠かさずに維新派観劇に足を運ぶようになりました。
「この時代に生まれたからには、これだけは観ておけ!というものをひとつ挙げるとしたら?」と質問されたならば、ボクは即座に「維新派」と答えることでしょう。維新派を過去のものとして歯がゆい思いと共に想像するのではなく、季節がめぐってくれば実際にこの目で観ることができる、というのは、なんたる幸運でしょう。
ボクの知った「少年街」以降の維新派は、大阪弁ケチャだとかラップ調と称される維新派独特のリズムにのった名詞の羅列を核に、前衛的なステージを続けます。このあたりがボクの中での第1期維新派。
そして、徐々にセリフが増え、1996年の「ロマンス」に至りそれは「生で観る映画」といったなんとも贅沢な公演となっていました。人が米粒くらいにしか見えないほどステージの奥行きは深く、生の芝居に違いないにも関わらず、カットイン / カットアウトといったカメラワークのような技法が目の前で繰り広げられました。
維新派の特徴のひとつは「劇場を自らの手で建てる」ということ。テントのような仮設ではなく、客席のひな壇を含め、劇場そのものを出現させる。ある時はそこに直径10mを越す回転舞台が現れ、ある時は街そのものが現れ、ある時はステージ全体が広大のプールの中にあり、ある時はひな壇状になった舞台に何十棟もの家が突如として立ち上がる。
それが「王國三部作」の最終章「流星」では、舞台面積は過去最大と言われながらもそこには大仕掛けが存在しないだけではなく、一面は真っ黒なキューブで埋め尽くされ、維新派のもうひとつの特徴と言われたラップ調のセリフ群さえも、ごく最小のものとなっていたのでした。
そして昨年、公演地に選ばれたのは奈良の室生寺にある「運動場」で、ついに舞台セットはなし。代わりにあるのはステージ向こうにそびえる山々と青い空。陽が沈めば満点の星。
「あの舞台セットがなければ、維新派の魅力は半減してしまうのではないか?」というボクの心配は全くの誤算。最小限の大道具と照明によりまっさらな土地を幾重にも変幻させ、そして場所の力を最大限に生かし、それまでの壮大な舞台セットと同様、いやそれ以上の舞台を出現させていることに驚愕。
維新派の公演準備は、おおよそ半年ほどと聞きます。地面をならし、飯場と呼ばれるスタッフの寝泊まりの場所を設営し、客席を組み、舞台を組む。それだけの時間と労力をかけて作られたステージが実際に観客に公開される、つまり公演回数はほんの1週間ほどで、公演後には全てが取り壊され、また更地に戻されます。
演劇の公演自体とその準備の比率が恐ろしく釣り合っていないわけですが、関係者からは「いやそうではなく、維新派の公演は建て込みの時から始まっているのだ」という言葉も耳にします。「公演自体は全体の一部分でしかない」と。
これに合わせてか、この室生寺公演あたりから、観客にとっても「公演は観劇行程の一部分」になりました。
当然、「維新派公演」を核にしながらも、そこへ行く道のり、周りの風景や歴史、郷土料理や現地の人々、そんなものもまるごとひっくるめて「維新派の公演」となったのです。
そして今年2002年の犬島公演。
維新派の公演を見るためには、まず岡山へ行かねばならず、岡山に降り立ってからは現地の人でも名前を知らない人が多数いるという小さな忘れ去られた島へ、本数の少ない船を使って渡らねばなりません。その日のうちに帰ることも不可能で、必然的に宿(あるいはキャンプ)の準備も必要。それらの全ては維新派の公演のラストシーンに続いており、プロローグはすてにこの時から始まっていたのでした。
というわけで、そんな維新派2002年夏公演「カンカラ」の旅レポートをまとめてみました。
電停看板
路面電車
朝8:30羽田発のヒコーキで岡山へ。9:45岡山空港着。バスでJR岡山駅へ。晴れ渡る空と強烈な陽射し。快晴。
事前にインターネットで予約したエクセル岡山というホテルへ。JR岡山駅からは徒歩20分程度だが、駅からホテルまでの「桃太郎通り」と名付けられた大きな道路には路面電車が走っており、これを利用。100円。
ちなみにエクセル岡山は維新派サイトの掲示板にて、維新派制作衛藤さんが「いい眺めですよ」とオススメしていたホテル。
いくらかの荷物を預け、ホテルの隣りに位置する後楽園へ。後楽園には思ったよりこぢんまりとした岡山城と、NHKドラマ「あぐり」の撮影場所となった場所。あとで知ったのだけど、この岡山城に使われている石は、これから行く犬島から切り出されたものらしい。
後楽園
あぐりの道
岡山城
JR岡山駅 赤穂線ホーム
岡山ラーメン
「るるぶ岡山」をたよりに、岡山駅裏の「浅月」にて岡山ラーメンを食す。茶色く濁った魚系の臭みのあるスープで麺は細め。まずまず。「ガイドに載ってない名店」を希望したいがそこまでの準備と時間はなかった。
維新派犬島公演に合わせ新岡山港から巡航している臨時船は完全予約制で、前日に電話したところすでに予約はいっぱい。仕方なく宝伝港から出ている定期便を目指して移動。
JR岡山駅から赤穂線に乗り「西大寺駅」へ。少し不安だったので、男子学生に「この電車でいいの?」と訊ねると「いいですよ」と教えてもらった。
20分弱で西大寺駅に到着したあとは、今度はバスで宝伝港へ。コンビニどころか、他にもなーんにもない駅前には客待ちのタクシーとひとつだけのバス停。バス停の時刻表を確かめると、事前にこちらで確認した13:00発のバスはなく、次回の宝伝港行きは17:00台。あれ?
JR駅の職員さんに訊ねると、いくつめかの信号をどちらかに曲がって、そこから何百メートル行ったところをどちらかへ行ったところにバスセンターがあるという。歩いて20〜30分とのこと。
テクテクのんびり歩いて船を逃すとかなりマズいので、タクシーを選択肢に入れる。運転手さんに「宝伝港までいくら?」と訊ねると3,000円とのこと。こちらは3人なのでひとり1,000円。タクシーに乗り込むことに。
50歳前程度とみられる男性運転手との会話。「犬島へ行かれるんですか?」「ええ」「関係者の方ですか?」「いえ、違います。公演を観に、東京から来ました」「またまたぁ、ウソでしょう? 隠しても分かりますよ」「いや、ほんとにただの観客です」「いえ、ボクには分かるんですよ。そんなね、こんな岡山のね、しかも犬島なんていうところへね、わざわざ東京からね、ただ観に来るなんていうのはちょっとね…」。結局最後まで納得してもらえなかった。
宝伝港
13:00ちょうどに宝伝港へ着くと、まさに13:00の便が出発したところ。45分後の次の便を待つことに。
宝伝港は港と呼ぶにはあまりに質素で小さい船着き場。犬島までの料金は大人200円。船を待っていると次々に維新派を観に来たと思われる観客や、屋台村で提供すると思われる食材を持った人たちが現れた。
予定時間に船に乗り、10分もしないうちに犬島へ。いよいよ犬島。
犬島港
旧銅精錬工場跡の煙突
犬島に着くと島案内のマップを手渡される。キャンプ場や海水浴場といった観光用途の場所の他に石材所や神社、そして今回の維新派公演を含む「犬島アーツフェスティバル」に関連したさまざまな催し会場の案内。
歩き出す前からダラダラ汗を流しながら、このマップを頼りに島散策。暑さが気持ちいい、汗が気持ちいい。
もう耐えられない!と思ったところで海水浴場へ到着。用意してきた水着に着替え、数年ぶりに海へ。しょっぱい!
海水浴場
維新派の劇場の上手側
開店前の維新派名物屋台村
下手後方より望む維新派舞台客席
木々の中を進む
シンポジウム
16:30より、小学校を改築して作られたという「犬島自然の家」にて「犬島に維新派がやってきた!」と題されたシンポジウムが行われるというので、駆けつけることに。
パネリストは、
シンポジウムの中で興味深かったことを箇条書きでまとめてみます。
シンポジウムが終わりお腹も減り、屋台村目指して移動。陽も少しずつ沈みはじめ、さきほどまで猛威をふるっていた各種ハチに変わり、今度は都会では見かけないような力強い「蚊」が幅をきかせはじめる。慌てて虫除けスプレーを使用する人々。
民家にて維新派宣伝美術の東學さんらの展覧会
1時間もあれば1周できる小さな内では、維新派を見に来たお客さんと何度もすれ違う
島内のいたるところに案内板があるため、迷うことはない
屋台村へ戻るとすでに開店しにぎわいを見せていました
(劇場内は撮影厳禁)
18:30開場、19:00開演。外はまだ明るい。
内橋和久氏によるミニマルな音楽と、生で奏でられるダキソフォンの音。そして役者たちの踏みならす足音。
大阪のワルガキ「ワタル」とその仲間「チョウ」「テツオ」、死んでしまった兄貴「セントク」。
3人が瀬戸内海を渡り辿り着いた小さな島には巨大な煙突の立ち並ぶ精錬所。モッコを担いで働く労働者たち。
今日1日見てきたさまざまな風景と舞台に繰り広げられる幻想が重なる。
空中をヨコギル女性たち。ブランコや鉄棒のアクロバット。舞台の向こうに浮かび上がる実物の精錬所の煙突。
そして、蒸気機関車に乗って宇宙へ旅立つ少年たち。
フッと照明が消えると、いつしかすっかり陽も落ち、空には満天の星。ああ、なんてことだ。なんたる贅沢なのだろう。
公演内容に関しては実際に見た人の胸の内に。というか、「チケットの予約をした時から公演が開始されている」あるいはそれが言い過ぎだとしても「自宅を出たとき」あるいは「岡山に降り立ったとき」から維新派の公演は、松本雄吉の演出ははじまっている、というのはまったく大げさではなく、すべてはあのラストシーンに通じているのだ、ということを実感できるのは実際に体験した人だけの特権。
ライブを見る屋台村の客たち
終演後はすぐに今度は屋台村のステージでライブ開始。それが終わると今度はさらにdotsによるダンス公演。夜はこれから。
同郷、名古屋出身の維新派役者エレコに1年ぶりに再会。イントレの1段は1.8mで、一番高いところは7発なので12.6mだと知る。来年の公演地も××の××××に決定らしい。楽しみだ。
島をあとにして、臨時船に乗って新岡山港へ。そこからバスでJR岡山駅へ。
ホテルまでぶらぶら歩きながら、ふと見つけたJAZZバーへ足を踏み入れた。
脱サラして4年前に開店したというクミコさんという女性の営むこの店には、どうやら岡山のおかしな人々が集まる店らしく、維新派を呼んだ人も、あるいは今年第1回目となるJAZZフェスを企画している人たちもこの店の常連らしい。
犬島公演のスタッフはもとより、松本さんもこの店に来たということで、この偶然あるいは自分の嗅覚に驚く。
クミコさんやその場に居合わせた常連さんの話によると、犬島は「岡山市民でも存在自体を知らない人も多い」らしく、誰も行かないところだということ。
シンポジウムで司会を務めていた大森さんという方はライターで、唐十郎の紅テントをはじめ、さまざまなものを岡山へ招いているらしい。そんなところから今回の維新派公演の話も実現したとのこと。
岡山ラーメンという呼称は最近のもので、地元では支那ソバと呼ぶ。じゃこ、豚、鶏ガラを使ったスープだということ。
面白い発見だったのは、名古屋と岡山に共通点が多いということ。
米を水に浸すことを「米をカす」、びっくりしたの意味の「おうじょうこく」、あるいは「ケチで見栄っ張り」と言われる特徴など。びっくりしたのは、すごく疲れた、を「でーれーえれー」ということ。「でれー(どえらい)」も「えれー(えらい)」も名古屋と同じだ。岡山に来てからこれといった方言やイントネーションに出合わないなあと思っていたのだけど、それは名古屋弁や関東弁に近いために気付かなかっただけなのかも知れない。
岡山弁は他に、ボロボロになるの意味に「ゴムホースがくみる」「生地がくみる」、お腹が痛いことを「胃がにがる」「生理でお腹がにがる」、一緒に傘に入れてもらうことを「傘に乗る」などなど。
壁にかかっているイラストに見覚えがあり訊ねると、サワダトシキさんという方のものだという。「ご存じないと思いますが、東京の下北沢にラ・カーニャというお店があって…」「知ってます。何度か行ったことあります。あ、そーか!そこにあるイラストと一緒なんだ!」「そうですそうです」。まさかこんなところでラ・カーニャの名前が聞けるとは!
居心地のよい店の雰囲気と楽しい会話が弾み、喉を潤すために寄っただけだったのに、結局3時間ほどおじゃまして、うつらうつらなりながらホテルへ戻りました。
月曜から金曜まで会社員として働いていると、自然を満喫しようと思っても、あるいは旅をしようと思っても、面倒くさくてめったに実現せず、健康的に汗を流したり、土に触れたり、ハプニングに合ったり、素敵な人と出合ったりといった体験はそうそうできるものではない。これはおそらく会社員じゃなくても同じだろう。
今回、維新派公演にかこつけて、さまざまな人に出会い、さまざなな乗り物に乗り、さまざまな場所を体験した。
都会、あるいは現代に暮らす者にとっては、いちばんの贅沢で、そんなところまで用意をしてくれてしまった維新派のサービスぶりには頭が下がる。
公演実現にまつわるさまざまな準備に関しては、ちょっと想像もつかないレベル。チラシ作りひとつとってもさまざまな面倒な確認や情報収集が必要だろうし、許可や協力、案内や地図の作成、その他目に見えない、想像もつかない苦労が山ほどあったと思う。おかげで、つまらないことにわずらわさせられることなく、旅を、維新派を楽しむことが出来ました。そんなことを毎年やってるなんて、やっぱりみなアホです。関係者のみなさま、今年もありがとうございました。お疲れさまでした。
来年も、来年以降も、どうぞよろしく。
U5こと、サカイユウゴ
記憶セヨ!!彼ラノ「野外」ノ軌跡ヲ…。これは1970年の結成より一貫して野外にこだわり、巨大野外劇場を造っては壊し続ける維新派の全記録である。
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