こらない

2008-03-12 (水)

映画『いのちの食べかた』

やや前だけど、映画『いのちの食べかた』を観てきた。
各種食材の生産過程を撮ったドキュメンタリー。
|いのちの食べかた|(公式ページ)

|いのちの食べかた|

以下、ネタバレっていうのか分かんないけど、ネタバレ。

扱われる食材は、野菜や果物、そして魚、鳥、豚、牛といった食肉、あるいは牛乳。
それに付随して、種付や出産も。

高度に発達した高効率の生産過程が、淡々と描かれる。
そこで働く人たちへカメラが向くこともあるけど、台詞はほぼなく、会話が聞かれたとしても字幕はなく、SEのように扱われている。

サウンドデザインが秀逸だなあ、と思った。
工場のゴーとかザーとかウイーンとかガーといった音だけが淡々と鳴り響く。

どの食材の生産過程も「お百姓さんに感謝して食べるんですよ、はい、いただきます」という世界とは、かなり遠いイメージ。
命の尊厳もクソもない、ように見える。
ものすごく間違っているように感じる。
人によっては(もしかしたら多くの人にとっては)、これらの過程を見たら、いろいろと食べられなくなるかも知れない。

けど、同時に、行き着く先がこれであるのは当然、とも思う。
アタシたちは現在、野菜も肉も、そこらに自然に育っているものを狩猟採集してきて食べてるわけじゃない。
少しでも効率の良い育て方をして、育てやすい環境を作り、育てやすい品種を作って。
もっと育てやすく、もっと育てやすく。
もう、何百年も何千年も前からやってきた。

映画では、「だからどうだ」「だからこうだ」ということは一切語られない。
人によっては(国によっては? 時代によっては?)、科学博覧会というか、技術博覧会というか、「こんなに技術が進歩した! すごい! わくわく!」という映画だと捉える人もいると思う。
事実、アタシが小学生くらいの頃は、こういうのって「なるほど・ザ・ワールド」といった人気番組で、「最近の食材はこういう工場で、こういう技術で作られてるんです!」みたいに扱われて紹介されてた。
「生ゴミから、食卓塩ができるんです!」とかやってた。

そういう方向でいうと、いろいろと自動化されている各工程の中、人間の手が意外とたくさん使われてることが興味深かった。
今の技術なら、おそらくもっと自動化してしまうことが可能なはず。
でもそこは、きっと経済的に、人間を使った方が安いんだろうな、と。
完全にコスト計算だけの世界、といった印象。
当たり前か。
人間って、かなりよく出来た機械だぜ、といった視点は、当然監督も意図的に入れてる、だろうな。

もひとつ、少し意外だったのは、どこもすごく清潔に見えたこと。
こういう工場って、得てして、もっと汚かったと記憶する。
これも、きちんと清潔にして、病害虫等の発生を抑えた方が、コスト的に見合うってことなんだろう。

知識的には知っている世界、いや知ってはいなくても、「そうだろうな」と想像していた世界ではあるけど、実際に映像で見せられるインパクトはすごい。
「そうでもしないと、お前ら、食っていけないだろうが」と分かっていても、やはり嫌悪感を抱くシーンも多々。

けど、同時に、「うちは、理想的な環境で、少しの数だけを、昔ながらの方法で、人間の手を使って、2倍の時間をかけて、ていねいに作っています」な食材に対して、複雑な思いも湧く。
それ自体はいいのだけど、もし、この映画に出てきたような高効率生産食材を「あんなん、人間の食べるものじゃねえよ」と言ってしまうとしたら、それは。

いやでもね、アタシは、土地の名産はその土地でしか食べられなくていいし、季節のものはその季節にしか食べられなくていい、とは思うのだけど。

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この「いのちの食べかた」で思い出した映像作品が、『人間は何を食べてきたか』。
映画ではなく、NHKのドキュメンタリー番組で、スタジオジブリがDVD化権を取得して、2003年にDVD化している。
全8巻。
ブエナビスタ、「人間は何を食べてきたか」をDVD化

「いのちの食べかた」と対を成す、と言えるかなあ。
「いのちの食べかた」で描かれた「今」の、その前の時代の食材生産の話。

食べ物と人間の関係をテーマに、肉、米、麺、醤油、雑穀など、人類を支えてきた18種類の食物を取り上げ、それらの食物が育んだ様々な国や地方、文化、人々の生活を紹介する。

この第1巻が、いきなり食肉、というか屠畜から始まってね、最初見たとき、インパクトあったなあ。
どこかで見かけたら、ぜひご覧あれ。

2008-03-12 (水) UP

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