こらない

2006-06-20 (火)

2006-06-16: うわの空 藤志郎一座「雰囲気のある死体」

うわの空 藤志郎一座「雰囲気のある死体」@銀座小劇場にイッテキマシタ(2006-06-16)。

blocを公式のスケジュールページとして使っていただいているってことで名前を覚えた「うわの空 藤志郎一座」。
その後、マツムらさんのsyrupy-therapy.net:blog:うわの空でも名前をみかけ、さらに石川さんが出演するということで、どうやらそういうタイミングらしい、と足を運んでみた。

1998年が旗揚げ公演で、「うわの空」の名付け親は高田文夫氏。
1999年の公演には、ゲストとしてその高田文夫氏に加えて春風亭昇太、立川志らくといった名前も。
年2〜3本の本公演の他に、コントライブも行なってるみたい。
ちなみに前回の本公演は、紀伊国屋ホール。

さて、この「うわの空」、これまでの公演は全て「口立て」、つまり台本なしでリハを繰り返しながら肉付けをしていき作品を仕上げる、という形で作ってきたらしい。
で、「番外公演」と銘打たれた今回の公演は、初の「台本のある芝居」とのこと。
脚本は、別役実。

とある大きな病院の地下にある相部屋の入院室。
患者用のベッドが3つ。
胃の手術を控えた男性患者と、その家族。
初日だからなのか、初の台本あり芝居だからなのか、かなりボロボロ。

患者を取り合う病院の外科医たち、という不条理ドタバタで、

「その患者は○○先生の患者ですから!」
「なにー! やつに執刀させるくらいなら俺にやらせろ!」
「いやですから、それは××先生の許可を得て、△△先生に言わないと…」

といった感じで、台詞上でいろんな先生の名前(そして行方不明になっている患者の名前やらなにやら)が次々に出て来て、こんがらがってくる。
…というところがドタバタ不条理たるところなのだけど…。
役者さん自体がほんとにこんがらがってしまっていて、先生の名前を言い間違えまくる。
それは、不条理劇においては、致命的なのでは…。

台詞を言うのが精一杯といった感じで、Aさんが話し終わった、よし次は私の台詞だ、みたいな小さな間がずーっと続く状態で、なかなかテンポが出ない。

挙げ句、きっかけを含む重要な台詞が飛んでしまったのか、「そのカルテを寄越しなさい!」「…いや、これは渡せません!」という不安なループが始まり、看護婦役の人はそでに目をやり助けを求めている(けど、なにせ座長が舞台に出てしまっているので、指示を出せる人はいなさそう)。

でももしかしたら、この不安なループは、もしかしたら台本通りなのかしら、とも。
1回しか見てないからよく分からないけど、どうなんだろう。

「台詞を噛む」というより「言い間違える」ことが多くて、いつもならご立腹で退席するところなのだけど、あんまりそういう心境にはならず。
一座の人たちの人柄なのかしら。
というか、たぶん本公演はしっかり面白いんだろうなー、というのは見ていて分かるから、かな。

そんな不安な状態の続く芝居の中、石川さんの登場により舞台がばーんと引き締まったのを見て、すごいなーと思った。
ちなみに、笑いながらしゃべりまくる狂人、といった役どころ。

貶(けな)すようなことを書いてしまったけど、でもこれ実験性の高い番外公演の初日ってことなわけで、本公演も見てみたいなーと思いました。

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