2005-08-17 (水)
2005-08-12/2005-08-12/2005-08-13: KUDAN Project『百人芝居◎真夜中の弥次さん喜多さん』
KUDAN Project『百人芝居◎真夜中の弥次さん喜多さん』@愛知勤労会館へイッテキマシタ(2005-08-12昼)、イッテキマシタ(2005-08-12夜)、イッテキマシタ(2005-08-13昼)。
ほんとに良かった。
事前に友人知人を捕まえては「見ないと今後○年くらい後悔するよ」と煽っていたのだけど、確かにそんなものになってた。
ステージの右と左からわーってたくさん人が出てきて、もうそれだけで鳥肌。
それだけで涙。
「もしかしたら、“市民お芝居発表会”なノリになってしまうんじゃないか」って不安も実はあって。
人がたくさん集まって、出演した人とその身内だけが満足するような学園祭っぽいノリになっちゃうんじゃないかって。
なっても仕方ないかなーって。
ごめんなさい、この期に及んでそんな想像をしてしまって。
そんなんは、始まってすぐに吹っ飛びました。
とにかく美しかったなー。
半分くらいが素人なのだっけ?
ちょっと異常なほど、皆さん達者でした。
カルピスこぼして日が暮れてに、“思い出し用メモ”あり。
ありがてえ。
そこにもあるんだけど、ヤマモクさんの台詞にやられた。
ヤマモクさん自体も相当に面白かったのだけど、後半の台詞は何度聞いても。
「俺だっていろいろ考えてんだぁ」
「どうやったら上手に半分にできるかとか」
「空はあんなに近いのにどうして触れないのかとか」
「こっちはどこで、そっちはどっちか、とか」
次々にいろんな形で別の弥次喜多が現れる。
でも一応、寺十さんと小熊さんが、中心の弥次喜多、と思っていると、「本物の弥次喜多」が登場。
この「本物の弥次喜多」の本物っぷりに脱帽。
天野演劇を初めて見る人が比較的多いと思われる今回、死のイメージをいつも以上に隠すのかと思っていたのだけど、実際は逆で、初っ端から「タバコ」の文字が「死」になってスタート。
「お房(ぼう)さん、いや、お房(ふさ)さん」「お房とスパッと切れてくらあ」ってあたりの匂いは二人芝居でも。
後半、お房の落とした白いボールは、ぐしゃりと砕けて、中から真っ赤な果肉がのぞく。
それを受けて、「おめえ、俺のことも…?」と喜多。
前半、天井まで敷き詰められた障子が現れて息をのんだ次の瞬間、そのすべての障子が開いて、そのすべての中に人が。
鳥肌。
開演前の「携帯電話の電源をお切りください」アナウンスは、つボイノリオさん。
自身のラジオ番組でタイムトリップを繰り返してるつボイノリオさんは、ここでも時間を巻き戻す重要な役柄。
開演、暗闇にぼんやり浮かび上がるタバコ屋。
よく見ると、電車。
くるり90度まわって、やきとり屋に。
やきとり屋の中の細部の作り込みに仰天。
「やきとり」の暖簾(のれん)は、いつの間にか「やじきたひとり」に。
電車の行き先を見ると、「いせ」の文字。
なーげーへーだ。
昔々、無か死、夢か死。
リアルじゃねえやなあ。
ステージ上でリアルを求める弥次と喜多。
それを見ている客席のアタシたちの、ほんとのところのリアル(現実)はと言えば、開演時間を何十分か過ぎ、指定席に座って舞台の上のすったもんだを鑑賞している、ってこと。
そんな「お芝居のお約束」を破ったりするくらいなら、他でもいろいろあると思うけど、大ホールならでは高ーい位置にある備え付けの時計の仕掛けには唸りました。
うれしかったー。
原作がペラペラの漫画だってこと、原作が第5回手塚治虫文化賞を受賞したこと(ベレー帽+メガネ+でか鼻/締め切りに追われる漫画家/お茶の水博士)、出演者がオーディションで選ばれたこと(劇中の弥次さんオーディション)、出演者が異常に多いこと(その全員であっちに行くかこっちに行くか相談→当然決まらない)。
「どうせやるんだったら詰め込んでおいて欲しいもの」が、がっちり詰め込まれていて、うれしい。
個人的なことを言うと。
KUDANであり王者舘であり、白枠を見て高丘を思い出し、最初の合唱で高丘を思い出し、小熊さんと寺十さんの向こうに石丸さんと夕沈さんが並び、なんだかこの10年が走馬灯みたくにぐるぐるまわってしまって、アタシの頭ん中は、えれえことになってました。
会場では、1年ぶりだったり3年ぶりだったり5年ぶりだったり10年ぶりだったり、久しぶりだったり初めましてだったり、いろんな方とお会いできました。
みなさん、さんきゅう。
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