こらない

2005-06-09 (木)

本『バカの壁 / 養老孟司』つづき

こらない:『バカの壁』入手のつづき。

第二章は「脳の係数」。
外部からのインプットがそのまま脳の中にアウトプットされるのではなく、なんらかの係数がかかるのだ、という話。
興味のあることには大きな係数がかかるし、また係数がマイナスの場合もある、とか。
話として分かりやすいし、うんそういう風にモデル化できるね、と思う。

第三章は「『個性を伸ばせ』という欺瞞」、そして第四章「万物流転、情報不変」。
ここはちょっと面白い。

現在、「情報」と言えば流れ行くもの、絶えず変化するもの、と捉えられていて、逆に昨日も今日も変わらないものというのは「自分」つまり「個性」だと捉えられている、というか皆そう思っている。
しかしそれは全く逆だ、というのがこの章の主題。

昨日得た情報というのは、今日になっても変わらない。
昨日の天気が雨だったという情報は、今日になっても変わらない。
それが情報。
対して、「個性=アタシ」の方はというと、脳ががんばって「昨日のアタシと今日のアタシは同じアタシ」と思っているからアタシと認識できるだけで、日々どんどん変化している。
スポーツ観戦に大して興味のないアタシが、明日は大好きになっているかも知れない。
アタシなんてものはどんどん変わっていく、と。

なんでそういう話になっていくのかというと、つまり「アタシは絶対だ」と考えてる人が多いから。
アタシはここにいるし、アタシという個性は変わらない、と考えてる人が多いから。

この本の中でも軽く触れられているけど、養老さんの話の中では、現在の都市社会というのは情報社会で、これは脳社会である。
つまり、すべて頭ん中で考えたものでできていて、そしてそこに生活するアタシたちも頭だけで考えてる。

アタシは10代の頃、頭でむにゃむにゃ考えるのが格好いいと思い、むにゃむにゃと考えていた時期がある。
けど、むにゃむにゃ考えてとりあえずの結論を出すより、一瞬でシャキーンと結論を出した方が効率が良いことに気付き、あんまり頭の中でむにゃむにゃと転がさなくなった。

けど、脳というのはむにゃむにゃ考えるのが好きなようで、情報がどんどん入ってきて、脳がどんどん考えてしまう。
そうして頭だけで考えて、頭の方はなにかしらの自分の中での正解のようなものを出してしまうわけで、それがどうにも怖い。
「それとこれとではどちらが正しいか」という選択肢を、ちゃんと正しい方だけをきっちり選んでいった先に見える世界というのは、理想の世界とかなり違ったものになる。

閑話休題。
やっぱり「バカの壁」というタイトルにピンと来ないまま読み進み中。
というか、もう「バカの壁」というキーワードからは離れつつあるように感じる。
書いてある内容も、アタシは楽しく読んでいるのだけど、大大ベストセラーになったというのはちょっとピンと来ない。
タイトルがキャッチーだった、ということだろうか。

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