こらない

2005-05-23 (月)

2005-05-03: 「荒川修作を解読する」展

ゴールデンウィーク中5月3日の話。
大須へ『夜叉ケ池』を見に行くまでに少し時間があったので、「荒川修作を解読する」展@名古屋市美術館へイッテキマシタ(2005-05-03)。

荒川氏は、アタシがハタチ前後の頃に体験型な作品を作っていて、あれは松坂屋美術館だったかなあ、よっしーと見に行ってハシャギ遊びまわってきた(他のお客さんがおとなしく難しい顔をして「作品」を見てる中)。
その後、そのビッグサイズ版の養老天命反転地ができて、それも何度か行って、「これはこれで」といった感じ。
けどその後いつの間にか荒川氏の肩書きが「建築家」になっていて、ちょっとついていけなくなった。

今回の展覧会は、そんなアタシが知るよりずっと前の難解な荒川氏の作品をいくつか並べて、「きっちり解説してやる!」という趣旨らしい。

例えば入り口を入るとすぐに「大ガラス」をさらに飲み込んだ形の作品。
で、壁に設置されたシートを見ると、その作品のパーツパーツを解説している(解説しようと試みている)。
それはそれで企画として面白いと思うけど、アタシ自身はそんなことにはあまり興味がないので、ひとつも解説を読まずにずいーっと通り過ぎた。
そしたらすぐに終わっちゃった。


地下の会場では、「荒川修作の建築作品を見る」展なるものが。
養老天命反転地や、志多見住宅、三鷹のやつなどの写真。
以前これらの写真やコンセプトみたいなものを見たときはちょいと首をかしげたのだけど、でもこの前NHK「課外授業ようこそ先輩」でその住宅に小学生たちがいるのを見て、「いいかも」と考え直した。

南青山のワタリウム美術館前にある東孝光氏の「塔の家」のドキュメントを見た時にも書いたけど、こういう「アンチ・バリアフリー」とでも呼びたくなる家こそ人を元気にするコンセプトには賛成したいと思った。

横道にそれるけど、永田農法は別名ルーツ農法とも呼ばれ、それは原産地の環境(それはアンデスの瓦礫だったりイランの砂漠だったり)に近づけてやることで本来の姿が戻る、という考えに基づく。
人間も、段差のないバリアフリーな環境より、段差やでっぱりが多くて使いにくい住居の方が、マシな気がする。
あと子ども、特に男の子なんて、そうなってるだけで思いもよらないことをやらかしてくれる(アタシならする)。
荒川氏の建築作品は、きっと一部ではアート、あるいはトンデモ的に捉えられたりするんじゃないかと思うのだけど、別にそんな大層なものじゃないと思う。

全体的に見てどうか、に関しては意見を保留するけど、家の中がでこぼこしてパッと見た限り使いにくいというのは却って機能的だと思う。
「不便だ不便だ不便だ不便だー。でも不便のが便利よりだいぶいい」でもありますな。


たぶんこういうことをしなきゃいけないと思い、やっておいた。

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