2005-04-13 (水)
エコの人
カシワさんとこ(2005-04-11)にて、
森づくりワークショップに積極的に参加し、家庭菜園でラズベリーを育て、永田農法で野菜も育てはじめて。
あらU5さんてちきゅうにやさしい。
脳内U5さんファイルに「エコの人」のタグが仮止めされました。
なんて記述が。
「そ、そのタグ、外して!」って言おうと思ったら、
他人の中の自分は他人です。あきらめましょう。
と先回りされていました。
ぬはっ。
森づくりは「づくり」に見せかけて、実際は「破壊」なんだけどね。
毎回チェーンソーをぶんぶん振り回して、木を切り倒しまくってるわけで。
こんなの、現在のアタシの生活圏では、なかなかできることじゃなくてね。
「破壊」が実は「づくり」になってたりするのが面白いのだけどねー、と「森づくり」を主催してる人に向けて一応フォロー。
ラズベリーもね、買おうとしたら高かったんで「じゃ作ろう」ってだけで。
それがなんで永田農法にまで発展したのか、よく分からないんだけど(たぶん芽が出るってことが予想外に楽しかったから)。
以上が本心なのだけど、せっかくなので建前を。
いや建前じゃないな。
まあいいや。
「エコの人」じゃないとするとどうだろう、アタシは「システムの人」かなあ。
「エコ」って言葉に付随しそうな「スローライフ」といった言葉とは対極の「合理性」とか「効率」を追求してる。
してるっていうか、したがりというか、したいというか。
で、どんどんどんどん追求してったら、「自然に逆らわないのがいちばん効率がいいんじゃないの?」ってことになったのよね。
木を切って山に保水力がなくなって鉄砲水が増えて護岸工事をしてダムを作ってとか、農薬を撒いて虫がいなくなって鳥がいなくなって肥料をたくさん撒いてその過剰な栄養が川から海へ流れて赤潮になって魚が死んでとか。
風が吹いて桶屋が儲かるだか、南半球での蝶の羽ばたきが北半球で台風になるだか、小さなウソを隠すためにより大きなウソをつくだかよく分からないけど、お金でいうと、目先の100万円を欲したばっかりに1,000万円必要になったみたいな話が多いじゃんか。
赤瀬川原平さんの「宇宙の缶詰」(知らない人は検索してね)の話で、同じ頃に梱包芸術をやってたクリストの話が出てきて、「クリストは最後は地球を梱包しなきゃいけない」と。
それと一緒で、結局ちきゆ全体をコントロールしなきゃいけなくなるのは目に見えてるんだけど、そんなことみんな望んでるんかなあ?
いや、望んでるかどうかはアタシには関係ない話で、合理性やら効率を求めるアタシとしては「それって効率いいかあ?」ってことで。
(以下、700行ほど省略)
ここまで書いて思ったのだけど、「合理性」やら「効率」って、ただアタシがそれを好きなだけで、それ自体には正当性?意味?価値?がないことに今気付いた。
もしかしたらあるのかも知れないけど、とりあえず現状「どうして効率がいいことがいいことなの?」って訊かれても、答えられないや。
うまいこと、きれいに、無駄なくコトが運ぶのが好きなんだねアタシは。
そりゃ趣味とか性格の話ですな。
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