2004-06-15 (火)
夕沈ダンス『アジサイ光線』
少年王者舘による、夕沈ダンス『アジサイ光線』@名古屋大須七ツ寺共同スタジオへイッテキマシタ。
土曜日の夜公演と、日曜日の昼公演の2回観劇。
ダンス公演ということで、「ほんとにダンスだけかな?」と思っていたら、しっかりと舞台セットが組まれ、照明、音響、映像はいつものスタッフによるいつもの神業が存分に発揮されており、「ただ踊るだけ」ではない、見応えのある「公演」に仕上がっていました。
さて。
アタシにとっては、ダンスっていうのもポエトリーリーディング同様、知人に「見に来てよ」と言われると返事に困るジャンルのひとつ。
その数少ない例外のひとつがこれ。
そりゃもう、ダンスだけでもたいそう面白い。
少年王者舘という名古屋を拠点に活動している劇団がいてね、ってところから話し始めると長くなるので割愛しますが、その劇団の芝居の中に必ずダンスが組み込まれていて、これのファンが多い。
ダンスのワークショップが行われたりもしている。
王者舘の芝居に関して、しばしば話題になるのが時間の切り刻み方で、それは延々と続くループだったり、もっと大きな似たようなシーンの繰り返しだったり、もちろん前半のあるシーンと後半のあるシーンが接続されたり、場所的にも右の扉と左の扉が時間を越えてつながったり、あるいは開演前や閉演後の時間を芝居中にカットインさせたりとそのアイデアはとどまるところを知らない。
そういうコラージュ的な時間の扱い方ともうひとつ、スピードというのが基本にあって、アタシたちの頭の理解スピードを追い越す形でいろんなものがビュンビュン通り過ぎていく。
それは、「ええっと、今のシーンって…」と考えるヒマを与えない、というレベルではなく、例えば「りんご」という単語が耳に入り、それが「りんご」として頭で認識されるかされないか、というキリキリの時間をコントロールしようとしている(コントロールしている)。
おまけにあとで台本を見ると「りんご」とは表記されていなかったりするのだから、もう訳が分からない。
そういうキリキリの演出でもって、アタシなんかにはどうにも言葉にはできない「ナニカ」を表出させているのが王者舘の芝居なのだけど、その芝居をギュウウウッと凝縮させたのが、このダンスだと(アタシは)思っている(ということはそこに入れ子の構造が…まあいいや)。
今回書いておかなければならないのは、台詞付きダンス、ではなかろか。
「あのダンス、どうやって覚えるの?」なんて疑問もよく耳にしたのだけど、ああやってるのか、という。
基本的には、盆踊りなんかの「掘って掘ってまた掘って、担いで担いで見上げて見上げて…」と同じ。
なるほど、これは本公演ではやれない出し物だ。
「本公演でなかなか使えなかったアイデアをこの機会に!」といろいろな技が披露されていたのが映像。
たくさんの影絵や、鏡像などなど。
もひとつ鳥肌が立ったのが真っ暗闇での夕沈さんのソロダンスで、小劇場での真っ暗っていうのは、ほんとに真っ暗になるわけで、それだとほんとに見えないからほんのちょっとだけ照明が付いている。
そうすっと白いヒラヒラの衣装の影じゃないところだけが宙に浮いているような感じで浮かび上がって、なんだかもう…。
で、また微妙に明かりの量が変化していて、こう、なんていうか、良かった。
久しぶりにほっかむりの珠ちゃん登場。
数十に及ぶ乗っけもの(俗にいう帽子)を次々に被せられてました。
夕沈さんはれんしう中に右足を骨折したとのことで、ギプス包帯してのステージ。
骨折の話を聞いた時はいろんな意味で心配だったのですが、ステージ上ではこちらに変な心配を起こさせるようなことにはなっておらず、さすが。
春夏秋冬の形にくり抜かれた文字プレートから、AZISAIの文字が出現。
春が過ぎ、夏が過ぎ、冬がなくなり、秋が私に。
ぐるぐる回る「ワタシアシタワ」(合ってる?)の回文。
時計の文字盤からプクプクといくつもこぼれおちる、白い玉。
いつしかスイカに。
針のように降る雨。
得体の知れないムニュムニュしたものの出てくる壁に空いた無数の小さな黒い穴と、いろんなものの飛び出す大きな穴。
突如飛び出す障子。
ツムジ後頭部から一気に広がる闇。
少年王者舘本公演『こくう物語』(原作:鈴木翁二)は、9月10月に名古屋、大阪、東京の順で。
その前の7月には、天野天街演出による糸あやつり人形劇『平太郎化物日記』もあり(名古屋/大阪のみ)。
あ、あと、アタシやアタシ以外の人が「傑作」と言ってやまない2人芝居『真夜中の弥次さん喜多さん』の再演が11月にありますので、そちらの情報はまたのちほど。
*参考/参照
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