『劇終−OSHIMAI−くだんの件』1995

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『くだんの件』チラシ(A5)

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くだんの事

 「件」と書いてクダンと読む。「件の如し」などと言う時の、あの「くだん」である。「くだん」とは元来「くだり」のなまったものであるが、中国地方では、半人半牛の怪物の呼び名ともなる。「人」と「牛」とを合わせれば、「件」という漢字になるわけだ。

中国地方の山間部に伝わる話では、クダンとは体が牛、頭が人で、牛から産まれる。出生の直後に、戦争や飢餓などに関する予言を残して、間もなく死ぬ。そして、その予言は的中すると信じられている。大平洋戦争末期にもクダンが現れ、戦争の終結が近いことを告げたという。クダンに取材した文学作品としては、内田百間『件』・小松左京『くだんのはは』がある。

 この地球が24時間でできているルビイであることの至福と謎。ある宇宙がAであるならば、ココア缶の中の宇宙はA’である。この場のAとA’の違いを夜ごと証明しようとしているのが、永遠都市線永遠銀座の特撰映画メトロ座である。その地底劇場の終宵映写技師のような存在がAMANO氏である。彼氏の特級手品が見られるのは、20世紀の終りの、いよいよこれから、なのだ。

あがた森魚(音楽家)

 天野さんを想うと、私の心は彼を尊敬するあまり、用心深くなる。どんなことばをつくせば、この人の素晴らしさを叫べるかしら、と思う。天野さんのどうかしそうな憧れや、天野さんの夢想の中の数学や、天野さんの恐ろしいプライドや……。だから却って平たく言ってのけたくなる。彼はただの天才です、天野さんは天才芸術家です。今度の作品も楽しみにしています。私はあなたの作品に触れると、人生に真剣になることができるからです、いつもありがとう。

さねよしいさ子(音楽家)

 ヨレヨレ、ダラダラ 思いっきり竹の子喰って、トワイライツを見た。目ん玉は感動でこおりつき、心で見えた天然の覚醒にギラギラして止まらない。天野さんのホッペにキスしたい。生まれて初めて芝居が見れてうれしい。優しくなりたいよぉ、俺、部屋のテレビをぶっこわしちゃえ。「あー、あー、」ガシャーン、空は青い。

宍戸幸司(割礼)

 ただの振動にしかすぎない我等は、共振によって新たな像を結ぶほかはない。それが、新世界だ。休むこと無く結ばれる世界に、予言でない言葉などあるものか。肉体は神の澱み、やはりふるえて、笑い顔にも泣き顔にも、出会いの高鳴りが見えている。しばらく一緒に歩こう。よく似た頂きで、よく似た歌をうたおう。とてもよく似たことほぎの歌が聞こえてくる。見降ろせば、晴れることの無い霧の隅で、わきあがる声の如く顕れるものがある。すべて我等が産んだのだ。すべて我等が産んだのだ。それでも尚飽きず、喉元に控えている未来をどうすればよいのか。そっとそっと、傷をつけぬように。神が澱む。

 深い深い山を行く三人のきこりよ。夜には火を囲むのか。ぬくもりを抱いて眠るのか。そしてまた、明日を呼ぶのか。涙は涸れぬというに。愛しきことよ。

少年マルタ(Echo-U-Nite

 何かとてつもない大きな世界の秘密を知っていそうな天野さんに、又何か教われそうだなという予感がうれしくてたまらない。

知久寿焼たま・角蝉研究)

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『くだんの件』公演チラシ裏

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『くだんの件』公演仮チラシ

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